決して忘れるな



渋谷から「いわき」に向かう支援団体の方にありったけの物資を託す。
駆けつけられない罪悪感や、彼らの有り難さで胸がつまる。
帰宅して仕事。
共に方々に救援情報の連絡。
全然仕事がはかどらない。
もどかしい事この上ない。


しかしながら善意の輪が広がり、今日あたりから沢山の支援物資が届いている模様。
まだまだ十分な量には足りないのかもしれないけれど、有り難い限り。


テレビで「いわき」の疲弊を訴える放送。
支援物資が市に届いても、避難所に持っていく人手が足りないのか、まだ厳しい状況には変わりない。
まだ県外ボランティアを行政が受け入れる体制を整いきれてないみたいだけど、これからはもっとマンパワーが必要になってくるでしょう。
ここでも行けないのが歯がゆい。





●ですが出来ることを。※以下転用
いわき市内の環境放射能測定値 3/19 12:00現在:0.91μSv/H(マイクロシーベルト/時間)。健康被害が出る程度ではありません。屋内退避指示が出ているのはいわき市北部のごく一部です。それ以外は念の為室内にいます。いわきには元気でいる人がたくさんいます!


「いわき」に放射能がっていうのは風評被害です。
安全です。皆さん苦しいながらも元気にしてます!!
スクリーニングをした沢山の方も、除染の必要なしとなっています。
繰り返しますが、これから段々と救済から復興に向かっていくことでしょう。ですからマンパワーが必要です。





プロ野球
映画。
演劇。
多々ある娯楽。
東京でも色々な興行、施設が再開し始め、またし始めようとしています。
自粛すべき行うべき、色々な考えがあるでしょうけれど、私は偽善(たてまえ)が大キライです。


こんな時に、こんな時だからこそ
「被災地の方たちの為に」とか
「私にはこれしか出来ませんので、このことで〜」とか
そんなこと今の被災地の方は必要としてません。
確かに生きていく上で、心の豊かさは必要。
でも今じゃない。
そして、自らの為に行うこ行為に、被災地の方たちを免罪符に使うなと言いたい。
気持ちじゃないです。事実を冷静に、客観的に見ればそうではないかと。
「やらないと生活が厳しいから」
「借金がでちゃうからやるしかないんだよ」
本音でいけばいいじゃない。


私は自分の仕事があるから「行かない」という選択肢を選びました。
ここで出来ることを精一杯しようと。
でもそれは自分の都合であって、自分の芸能活動は被災地の方の為ではありません。今はね。
それを「これを言っておけば大丈夫だろう」的な免罪符になりさがっているようで、実に腹立たしい。
※決して全てとは言いませんが。





本題に戻りますが、対岸の火事は記憶の中に埋没していきます。
日常の生活の中に埋もれて行きます。
鮮烈な記憶も生活というサイクルの中で風化していくんです。


皆生きているし、生活もあるのだから仕方のないことかもしれません。
ですが忘れないで欲しい。
そこには今も、これからも必死に頑張っている人達がいるんです。