古里に帰ってきた

shu_chan20002011-05-23







古里の「いわき」に帰ってきた。



目に見えない恐怖と今も戦う故郷の人々。
震災はまだ終わってない……他は苦しいながらも復興へ歩き出している。
上に行けば行くほど凄い状況ですけどね。



いわきもいわきの人々も確かに復興してる。
してるけど、まだ震災被害は継続中なんだ、そんな実感がありました。



けれど――
たくましく生きてますよ!
たくましいですよ、いわきの人々は。
何より、いわきは放射能の数値が低いんです。
(低いといっても他と比べればですが、全然安心なんかできない)
数値が高い県北の友人、皆さんが心配です。
ウチの近所なんか被害は少なかった方なので、見た目には震災が過去のことになった東京と何も変わらない雰囲気。
でも違う。



隆起したマンホール。
空かなくなった襖。
雨に対する警戒心。
ドミノみたいに倒れている墓石
(幸いウチは両親どちら側とも被害なしでした、さすが親父)
変化した生活サイクル。
母「お父さんが残してくれた庭の作物、今年は食べられないから世話する心配ないね」
そんな言葉が心に残ってます。
そして港に近づけば、今もアリアリと残る津波被害。



国会中継で自己保身や勢力争いに奮闘するバカ共を見ると本当に腹が立ちます。
ちょっと泣けてきました。
友人が言っていた言葉。
「国会議員を第一原発にほおりこんで代わりに働かせろ」
本当にそう思った。
いらないじゃない。誰のためになって、誰が必要としてるのよと思う。
過労死した東電関係者の人の代わりに働いて来い。
だって必要ないもん。
「言った言わない必要あるか、正直に話せ、いらんことつっつくな、圧力きかせんな」



だいぶ話がそれましたが、これからも長く苦しい戦いは続くでしょう。
絶対に忘れないで、私に出来ることを続けていきます。
※まだ震災は続いているので、被害が酷い場所の写真を載せるには止めます。昔よく遊んだ近所の神社、悲しいかな今年は祭りがなかった。