共依存・・・・・・・・・・・・・・・

*共依存・・・・・・・・・・






文章を書くとき、よく自分自信と対話する。

見つめなおす、と言ったほうが正解だろうか??

文章を書くとき必ず他者とのコミニケーション

つまり愛情を取り上げた設定を盛り込む。

この世に一番ありふれていて無くてはならないものだと思うから。












以前、信頼する友人に

「どれだけ依存すれば気が済むんだ」

そう叱責されたことがある。

















よくよく考えてみると、

今までの自分の恋愛と称される行為は

全てその『共依存』だったのではないか??



恋愛や愛情という

目には見えない言葉では表現しきれない不思議で素敵な存在ではなく、

単なる共依存だったのではないかと・・・・・・












別に自己の過去を卑下している訳でも自虐でもない。

なんとなくそう思うのだ。












そして共依存共依存を呼ぶ。

無い愛情を求め、自己を確立するため共依存同士が呼び合う。

まるで欠けた自己の片割れを補うように。
(それは決して愛情や愛ではないんだそうな)








だから私も相手も共依存だったのではないかと。

愛情と呼べるものではなかったのではないかと。

世の中に、そして人生に本当のことは一つしかないと思ってしまう私は

そんな風に考えてしまう。















本当にそうなのか??















共依存しか体験してこなかった自分には出ることの無い答えなのだが、
フッと考えてしまうときがある。







自分と離れ、

本当の愛情を手に入れてた女性達は

その答えを持っているんだろうか??













答えのない禅問答のようだが、

私はその答えを探すために言葉を綴り続けているのかもしれない。












しかし時々思う。

愛を知らない私が描く愛の文章は

本当に人の心を動かすことが出来るのだろうか・・・・・・