ルパンと聴覚効果

百聞は一見に如かず、という“ことわざ”がある。
百の情報よりも、一度現物を見た方が説得力があるということだろうか?
確かに言いえて妙だ。


しかし、人間の脳にはパソコンと同じ様に処理能力というものが存在する。
情報が大きい画(実際の風景)を見たとき、
脳内の処理能力は、画を取り込み処理する(感動など)だけで精いっぱいだ。
処理能力に個人差はあるにせよ、実際の画を見た瞬間、脳内には他の処理を行う、余分な能力は残り少ない。


私がラジオの仕事を始めて思ったのは、人間の想像力は無限だということだ。
小説を読むとき、読み手は頭の中で自ら創造力を働かせて読むだろう。
それと同じように、ラジオドラマなどは、聴覚能力に特化したメディアであるからして、聞き手が想像力を働かせてくれないとどうしようもない。
ともすれば、聞き手の想像力を掻き立てるような作品(聴覚効果)でなければならないということだ。
そこには無限の可能性があると考える。


ようやく『ルパン』の話に至るが、
この秋のクールで始まったルパン3世のアニメを観て気づいた話だ。
この作品が、ルパンたらしめる最も大きな要因は、音楽の“大野雄二”氏の功績が最も大きいだろう。
ルパンをパイロット時代から見ているノスタルジックな感傷を差し引いても、
最も効果的なシーンで彼の伝家の宝刀ともいえる曲がかかることで、
視聴者は「これぞルパン」だという認識を得る。
大野氏の曲が脳を刺激して、勝手に脳内でルパンを描き出してくれるのだ。
聴覚情報は、視覚情報に比べれば情報量が少ないので、脳が想像を膨らませてくれて、より良い作品に展開してくれる。
簡単に言うと、説得力はあるが情報が大きい視覚情報よりも、情報量が少ない聴覚情報の方が脳的には余裕があり、より大きな感動を得られる場合がある、のかもしれないと実感した。


これらの状況証拠からも、聴覚効果は、ある意味では視覚効果より優れている面を持ち合わせていると言えるのではないだろうか??
何より、その想像力という代物は、自ら鍛え上げられるというところがまたミソである。
そんな戯言を頭の片隅に置いて、何か作品を観ると、もしかしたら違った楽しみがあるかもしれません。



P.S.
とはいえ、新しいルパンシリーズは、大野さんの曲を絶妙のタイミングで使っている演出、音響監督。クラシカルに仕上げている作画、30分の収まる面白さの脚本、もちろんキャストの皆さんも、全ての方々の力の結集が作品のクオリティーに反映していることは、言うまでもありません。